2011/5/31


■@GAKUTOMO NO.322
 「戦争の時みたいだ。“安全”とか、“いい情報”ばかりが伝えられていて、本当のことが知らされていない。あの時と同じような感覚だ。」

 アジア・太平洋戦争を体験されたある方の言葉を(間接的ですが)聞きました。その方は、最近の原発事故報道について実感を込めて、そう語られていたそうです。

 最近、どうも“きなくさい”、戦争と結びつくようなことや、“非常事態”に乗じて国民の人権をおびやかすようなことなどが、時を同じくして、すめられているように感じます。それは考えすぎなのでしょうか…。

 『改憲条項緩和ねらう 民主・自民議員 参道署名集め 「96条改正」で議連旗揚げへ』(しんぶん赤旗5月30日付)…『「…憲法9条改正、これを果たしていくのが国会の役目だ」と、目的が9条改憲…』

 『経団連が「復興・創生マスタープラン」』(しんぶん赤旗28日付)『被災地全域を「震災復興特区」に指定し「構造改革」路線をすすめる産業政策を提起するとともに、消費税増税のための「社会保障・税の一体改革」推進…』と、戦時に増税がすすめられたこと、そして社会保障がまず削減されるということ…考えすぎでしょうか。

 まして、国難というべき事態の時に、在日アメリカ軍に対して日本政府は、いったいどれほどの費用を出そうとしているのか。特に、普天間基地問題では、占領時にアメリカ軍が住民から奪った土地につくったもので、無条件返還が当然であるはず。返すべき土地の返還に条件をつけられたり、ましてグアムへの移転費用まで、日本が出すことになるのか…。

 『「君が代」強制条例 民主主義と教育の条理に逆行』(しんぶん赤旗23日付)

 『国家公務員人件費 2割減』(しんぶん赤旗25日付)

 『レッド・パージ国賠訴訟 神戸地裁が不当判決 国の被害救済の義務否定』(しんぶん赤旗27日付)

 などなど、(加藤周一氏が『学ぶこと 思うこと』で述べられている)“なし崩し”的にすすめられてきている、いやそれ以上に、この機をまるでチャンスかのように、時を同じくしてすすめれているようにさえ感じますが、それは考えすぎでしょうか。(吉)11/05/31

◎該当箇所をひっぱっておきます。
このブックレットは、日本社会を変えようと思う人にとって必読文献です。(む)

「なし崩し」で変わってきた日本の歴史

 座標に関しては、まず時間的な問題について例を挙げたいと思います。

 ここでは日本の戦後の歴史、だいたい半世紀ぐらいの歴史を振り返ってみますが、その中で日本は大きく変わってきました。ここで問題にしたいのは、その変わり方です。風俗も変わりましたが、ことに国の安全についての考え方、安全保障や憲法の解釈に関して、次第に変わってきていることがわかります。その変わり方の特徴は、時間軸に沿って、だんだんに、少しずつ変わってきたことです。私はそれを「なし崩し過程」と言っています。

急には変わらない。だんだんに、少しずつ、しかし、常に特定の方向へ変わってくるのですね。あるところで急に変われば、「賛成か、反対か」ということになります。たとえば、核兵器の問題なんかもそうです。

 ところが、そうではなくて、少しずつ変わると、反対する人も賛成する人も、変わり方がわずかだから、「まあ、大したことではない」ということになります。そのつぎにまた少し変わる。一〇年たつと積み重なって大きく変わっているのです年、二〇年、三〇年すると非常に大きく変わっている。三〇年後には、三〇年前に言っていたことといま言っていることは、唖然とするほどちがう、ということになります。それが「なし崩し」の変わり方なのです。

 その「なし崩し」の変わり方は、いろんな方向に向かって少しずつ変わっていくのではなくて、一定の方角をもっています。これが大きな特徴です。

(加藤周一著「学ぶこと 思うこと」岩波ブックレット p22-23)


2011/5/30


 (-_-) トホホ……@GAKUTOMOはない。

青年を見る視点<その1>

 人間はそれぞれが、それぞれなりに考え、生きています。十人十色、千差万別といってもよいでしょう。しかし、まったく別々というのではなく、いくつかのパターンに分けられるような、共通の面を持っています。積極的な生き方と消極的な生き方、独自性追求型と大勢順応型、ネアカとネクラ、科学的と芸術的、等々、いろいろな分類の仕方がありましょう。このように、個人的なちがいがありながら、しかも共通の面をもつというのは、私たちが共通の社会、共通の自然、共通の土台の上に生きていることからきていましょう。

 このような分類のなかで、とくに大きな意味をもつのは、現状肯定型と現状変革型ということでしょう。私たちがいま生きている世の中に、満足か不満か、と問われれば、満足と答える人は少なく、不満と答える者の方が圧倒的に多い。しかし、それではどうするか、といえば、不満だが仕方がない、我慢する、いやな世の中だが自分は自分なりにこれに即応してゆこう、こう考える青年が多数派のようです。現状は不満だ、だから満足できる世の中に変えてゆこう、こう考える青年は少数派のようです。

 そこからまた問題が生まれます。現状に不満だとして、それは変えられるものなのかどうか。この社会は、われわれの力の及ばないような力で動かされているのではないか。・・・略(いくつでも例を引くことが出来るだろう)・・・・・だとすれば、そのような動きについてはかかわらずに、自分なりの生き方を生きる方が賢明ではないか。

 だがはたしてそうか。

(関幸夫著「個性的に自由に生きるとは」新日本出版社 p26-27)


2011/5/28

■@GAKUTOMO NO.321
■@GAKUTOMO NO.204で「156が158になる。そうするとポイントが上がる。経営者的発想でいくと、そうなるんですよね」・・・と京都市保育プール制の改悪によって在園児数の増加を検討する園長の発言を書きましたが、先日の分会会議で、今年も156(定員の120%)が安全を守る上での基準だということの確認しようという話になりました。

その中で、ある中堅職員は「でも最低基準なくなったしなぁ」とさらり・・・。保育所の最低基準を地方まかせにする「地域主権改革」一括法案が成立したことから出てきた発言でした。

これまで、保育園で子どもが安全に過ごし健全に成長するために必要だとされてきた基準は、不十分ながらも根拠のあるものだったはずです。0歳児にはハイハイして動きまわれるだけの面積が必要。幼児には外で走りまわれる園庭が必要。子どもの生活の場としての保育園には調理室が必要。などなど。

それが、基準を定める法律がなくなったからといって、その“事実”はなくなりません。「子どもを詰め込んでも安全が守れますよ」という保障になるわけではありません。事実としては変わらず、安全・発育を確保するための限度はあるし、園庭や調理室は保育園で生活する子どもにとって必要であることに違いありません。

「最低基準なくなったしなぁ」で、妥協していってはいけない。(蓮)2011/05/28


2011/5/27


■@GAKUTOMO NO.320
大学の職員労働組合で働く青年と話をしていました。大学病院の労働者を組織することが彼の役割です。昨年から労組の専従となったその人は、当初、労働学校にも参加し職場の青年労働者をどう巻き込んでいくかという話で活き活きと展望を語っていました。

しかし、最近組合事務所へ行ってもあまり元気がありません。組織の難しさにぶつかっているようでした。

組合員さんの組織状況を聞いてみると、今年は13名の医療労働者が組合に入ってくれたとのこと。「多いですね。」というと「違うんです。組合員は昨年30人退職したんです。そのあとで入ったのが13人。減ってるんです。」と・・・。「定年退職ですよね?」とさらに聞いてみると「それが違うんです。定年退職以外が30人です。とくに看護師は3〜4年で入れ替わりですよ」と苦笑い。「労働組合活動を自覚的にやってる人もいないし、執行委員ですら自分の部署の仲間に声をかけようとしない。」とそれが当たり前かのような口調です。この間、忙しさで本人も学習できていないとのことでした。

あんなに活き活きと話していたのに、驚きです。しかし科学的社会主義の学習抜きには日々変化する情勢のなかで、労働者おかれている状況やそれを打開していく展望は見えない。より厳しい労働条件で働く人たちであればあるほど、そこでの対話、労働組合の真の役割を訴え組織していくためには、学習は不可欠になってくる。そんな話をして帰ってきました。彼の果たす役割は大きいと思います。その彼をその気にさせる自分の役割も。(麦)11/5/25

◎「変革の精神」と「科学の目」……科学的社会主義を学ばなければ、日常生活に溺れ埋没し、「どうせおれなんか」「力不足なんや」と(む)


できっこない、とは言うな

生きてる限り、「できっこない」とは言うな、
堅固なものも堅固でない、
変らずにいるものはない、
支配者の声が地におちるとき
被支配者の声がたかまる。

なんだって「できっこない」などと言うのか?
圧制が続くなら誰のせいか? ぼくたちのせいだ。
圧制が打ち砕かれるなら?
やはりぼくたちのだ。

うちのめされるままにまかせず、立ちあがれ!
途方にくれていず、たたかうのだ!
状況を把握していれば、阻むなにがあろうか?

思え、きょうの敗者はあすの勝者、
「できっこない」は「きょうのうちにも!」となる。

(「ブレヒト詩集」飯塚書店 p81)


2011/5/26


自信のあるなし

 私たちのまわりでは、よく、自信があるとか、自信がないとかいう表現がされろ。そして、この頃の少しものを考える若い女のひとは、何となしこの自信のなさに自分としても苦しんでいることが多いように思えるのはどういうわけだろうか。

 一つには、女の与えられる教育というものが、あらゆる意味で不徹底だという理由がある。なまじい専門程度の学校を出ているということで、現実にはかえってその女のひとの心がちぢかまるということは、深刻に日本の女性の文化のありようを省みさせることなのである。

 けれども、自信というものに即してみれば、そもそも自信というものは私たちの生活の実際に、どういう関係を持っているのだろう。でも自信がなくて、といわれる時、それはいつもある一つのことをやって必ずそれが成就すると自分に向かっていいきれない場合である。成就するといいきれないから、踏み出せない。そういうときの表現である。

けれども、いったい自信というものは、そのように好結果の見とおしに対してだけいわれるはずのものだろうか。成功し得る自信というしか、人間の自信ははたしてあり得ないものだろうか。

 私はむしろ、行為の動機に対してこそ自信のある、なしとはいえるのだと思う。

あることに動こうとする自分の本心が、人間としてやむにやまれない力におされてのことだという自信があってこそ、結果の成功、不成功にかかわりなく、精一杯のところでやって見る勇気を持ち得るのだと思う。

その上で成功すれば成功への過程への自信を、失敗すれば再び失敗はしないという自信を身につけつつ、人間としての豊かさを増してゆけるのだと思う。

行為の動機の誠実さに自分の心のよりどころを置くのでなくて、どうして人生の日々に新しい一歩を踏んでゆかなければならない青春に自信というものがあり得よう。
(宮本百合子著「若き知性に」新日本新書 p32-33)


2011/5/25


「@GAKUTOMO NO.319」のアラゴンについて……だいたいどんな人物かがわかったと思います。あとは、自分で本屋に直行です。そう言っても、行動を起こさないのが「キョウビのカツドウカ」ですよね。悔しいです。つねに受け身です。(む)
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ストラスブール大学の歌

陽の色に輝やくカテドラル
ドイッ人どもに囚われながら
おまえは倦むこともなく数える
めぐる季節を 月日を 流れる時を
おお ストラスブールのカテドラル

学生たちは別れを告げて逃れ出た
アルザスの空翔ぶ鵠鶴(こうのつる)と
おまえの薔薇形窓の思い出を
いっぱいつめた背負袋を肩に
それは ほんの始まりだ

教えるとは 希望を語ること
学ぶとは 誠実を胸にきざむこと
かれらはなおも苦難のなかで
その大学をふたたび開いた
フランスのまんなかクレルモンに

古今の学に通じた教授たち
審判者の眼差しをもった若者たち
きみたちは そのかくれ家で
大洪水の明けの日にそなえた
ふたたびストラスブールヘ帰る日に

学問とは永い永い忍耐
だが今 なぜすべてのものが黙っているのか
ナチどもははいりこんできて 殺している
暴力だけがやつらのただ一つの特性だ
殺すことだけがやつらのただ一つの学問だ

やつらは鉄の拳で撒き散らす
われらのかまどの灰までも
やつらは手あたりしだいに撃ち殺す
見よ 教壇にうつ伏したあの屍を
友よ われらは何を 何をなすべきか

「無垢な幼児たち」の大虐殺を
もしもヘロデ王が命じたとすれば
それは君らのうちよりひとりのキリストが
あらわれでて 美しい血の色に
目覚めるのを怖れるからと 知れ

ストラスブールの息子たちは倒れても※1
だが 空しくは死なないだろう
もしも かれらの赤い血が
祖国の道のほとりにふたたび花咲き
そこにひとりのクレベールが立ち上がるなら※2

今よりはかずかずのクレベールたち
それは百人となり 千人となり
つづく つづく 市民の兵士たち
われらの山やまに 町まちに
義勇兵とパルチザソたち

われらはともに行こう ストラスブールヘ

二十五年まえの あの日のように
勝利はわれらの頭上にあるのだ
ストラスブールヘ だが何時と君らは言うのか
よく見るがよい 震えおののくプロシャ人どもを

ストラスブールの プラーグの オスロオの
三つの受難の大学よ
よく見るがいい 銃をうつやつらの姿を
やつらはもう知っている 逃げだす日の近いのを
敗北こそ やつらのさだめだと

よく見るがいい やつらがおのれの運命を知り
士気もおとろえた その姿を
死刑執行人どもこそ罪人にかわるのだ
やつらに戦車と手先があろうと
やつらを追いだすのだ 今年こそ

武装を解除された英雄たちよ 武器をとれ
ストラスブールのためフランスのため世界のため聞け あの深く どよもし どよもす

フランスの声を 祖国の声を
鉤十字(ハーゲンクロイツ)の殺人(ひとごろし)
どもは滅びるのだ

陽の色に輝やくカテドラル
ドイツ人どもに囚われながら
おまえは倦むこともなく数える
めぐる季節を 月日を 流れる時を
おお ストラスブールのカテドラル

 ルイ・アラゴン
   
大島博光訳

*1 一九四三年十一月クレルモン・フェランでストラスブール大学の教授、学生が 銃殺され、数百名が逮捕された。
*2(訳注)クレベール(一七五三−一八〇〇)──ストラスブール生まれのフランスの将軍。一七九二年の革命的人民の義勇軍に参加、翌年将軍となる。戦功によライン軍の司令官となる。


学習通信050604
◎あの小悪魔のはたらく余地……


2011/5/24


◎掲載できる@GAKUTOMOはありません。
7年、8年前に労働学校に来て変革の事業に参加した若者が、「大きな目で現在の情勢をみれば、大震災という災厄は、多くの人々の政治にたいする見方を変えるような政治的激動をつくりだしつつあります」「危機のもとで、ジグザグや試行錯誤をともないながらも、国民が政治の真実とは何か、日本共産党の主張にこそ真実があるのではないかという認識を発展させる可能性があります」

……この情勢のもとで、その姿勢が歴史に問われています。そこで昨日の@GAKUTOMOとかかわって、アラゴン……。

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 敵というもの

 敵、ということばが好きでないという人がいる。ことをあらだて、あらそいをもちこみ、平地に波乱をおこすようにおもわれるからだろう。

 わたしも好きでなかった。軍隊でしょっ中使われたことばだったからだ。軍隊くさいものはなんでも思いだしたくなかった時期には、皮膚感覚的にいやだった。

 だが、敵というものは存在しないのか。

 戦争をやっているときなら、単純に見分けがつきそうだ。殺しにかかってくるもの、その側が、敵にちがいない。だが、そのときでも、当面の相手の背後に、もっと大きなほんとうの敵がいるかもしれない。

 十年以上まえ、社会党の浅沼稲次郎委員長は、アメリカ帝国主義は日中両国人民の共通の敵である≠ニ主張し、そのために暴漢に刺殺された。刺殺したものは、まさにそうしたことばをはかざるをえないもの(わたしもその一人であったし、いまもある)にとっての敵であったし、その背後にはさらに大きな敵がいたし、いまもいるのである。

 四十年まえ、作家小林多喜二が築地の警察署で、逮捕されたその日のうちにはげしい拷問のすえ虐殺された。かれを殺したもの、殺させたものは、小林多喜二がそのために献身した解放運動の敵であったし、戦争と搾取に反対し平和と働くものの幸福をねがう数多くの人たちの敵であった。
 
 責苦のなかで歌ったもののバラード  アラゴン

もし もう一度 行けとなら
またこの道を わたしは行こう
ひとつの声 牢獄より起り
明日の日を語り告げる

独房に二人の男がやってきて
その夜 彼にささやいていたという
降服しろ おまえも
こんな生活には倦きただろう

おまえもまだ 生きられるのだ
おれたちのように生きられるのだ
おまえを救う言葉さえ吐けば
膝まずいて 生きられるのだ

だが もう一度 行けとなら
わたしはこの道をまた行こう
牢獄より湧きおこる声は
明日の日のために語る

ただ一言いえば 扉はひらかれて
おまえは出られる ただ一言いえぱ
ごまよ開け 死刑執行人も用がない
おまえも苦しむのを止めるがいい

ただ一言だけで 虚偽の一言だけで
おまえの運命は変わるのだ
思いうかべてみるがいい あのそとの
あのそとの すがすがしい朝を

だか もう一度行けというなら
またこの道をわたしは行こう
牢獄より湧きあがる声は
明日のひとびとに語る

言うべきすべてをわたしは言った
ヘンリー王のひそみにならって
わが帝国の代りには一匹の馬を
パリのためにはひとつの弥撒(みさ)を

為すすべもなく彼らの去るとき
彼のうえに彼の血がしたたる
それこそ 彼のただひとつの切札
それこそ この無垢のひとを滅ぼすのだもし

もう一度行けというなら
彼はまたこの道を行くだろうか
牢獄より起る声は答える
わたしはこの道を行こう明日もまた

わたしの愛とわたしの拒否と
おお 友よ わたしが死んだら
それが何んのためか分るだろう
わたしは死ぬが フランスは残る

彼らはやって来て 彼を捕える
彼らは話す ドイツ語で
ひとりが訳す おまえは行きたいか
彼はただ 平然としてくりかえす

もしもう一度 行けというなら
またこの道を わたしは行こう
おまえらの銃火の下を 鎖を引きずり
明日の日が歌うこの道を

弾丸のしたでも彼は歌った
「血に染む旗は挙げられぬ」と
二度目の斉射までにその歌を
歌いおわらねばならなかった

マルセイエーズを歌いおわったとき
もうひとつのフランスの歌が
彼の唇をついて湧きおこった
全人類のための インターナショナルが
 (大島博光訳)

 シュルリアリズムの詩人からフランス共産党員となったアラゴン(一八九七−)が、レジスタンスのなかでうたった詩である。うたわれた闘士は、その指導者のひとりガブリェル・ペリであり、ペリはナチの狂暴な手で銃殺された。

 神を信じたものも
 信じなかったものも
 ドイツ兵に囚われた あの
 美しきものをともに讃えた
  (薔薇と木犀草)

ともうたったこの詩人は、わたしの党はわたしの眼と記憶をひらいてくれた∞フランスの色を教えてくれた≠ニ、じぶんの抵抗の精神のよりどころをも示しながら、ドイツ占領下の全フランスにむけて「起床ラッパ」を鳴らしつづけたのだった。

 詩のなかの「彼ら」「おまえら」は、殺されたペリや詩人アラゴンら共産主義者の敵だったばかりでなく、全フランス人民の、また世界人民と平和の敵であった。だからこそ、「この道」は、なん度でも行こうという不屈で栄光にみちた道でありえたのだ。

 だが、苦しい生活に倦きて降服したもの、膝まずいて生きていたもの、そういうフランス人にとっては、すでに狂暴非道のナチは敵ではなかっただろう。ナチを敵としなくなったことで、フランス人であることをやめていただろう。

 レジスタンスのような戦争による外国侵略軍の占領の時代、そういう情勢のなかでは、敵はいかにも敵らしくあらわれる。凶器をもち血をかかし、敵らしい恐怖と暴圧をかくさない。

 現代の日本のように、一見平和で、一見物資がありあまり、一見なんでも自由で、一見無事平穏なような社会では、いったいだれにとってだれがなにが敵なのか、なかなか見わけのつきにくい情況かおる。……略
(1972年 土井大助著「詩と人生について」飯塚書店 p160-166)

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座標軸としての思想

四つの条件について

 事をなしとげるのに必要な四つの条件がある。先見性、行動性、実務性、そして思想性。全体の「扇のカナメ」をなすものは、思想性である。

 思想性の裏づけを欠くとき、先見性は、先物買いの事大主義におちいるか、中途半端で無力な不平・不満屋となる。思想性から遊離し、そのため先見性も失った行動性は、糸の切れた風船のようになり、驕慢・妄動におちいる。そして思想性なき実務性は、砂をかむような、あるいは氷のような官僚主義となる。

 ──以上、これはある本を読んでの私の勝手なノートである。「ある本」とは、大江志乃夫氏の『木戸孝允』(中公新書)。それは次のような文章で結ばれていた──

 「思想性のない先見性の悲劇を木戸に見出すならば、先見性のない行動性の悲劇を西郷に見出すことができる。そして、着実な実務性のゆえに、大久保が新政権の独栽者の地位についたことに近代日本の国家理想の欠如を見ることができるだろう」

 「糸の切れた風船」という私のノートのなかの表現は、維新後の西郷隆盛についての同書の表現をそのままとったもの、「驕慢」というのも同じ時期の西郷についての板垣退助の評語としてそこに紹介されていたものである。ただし「先物買いの事大主義」というのは私の勝手なつけくわえで、木戸孝允についてはそのまま全面的にはあてはまらないかもしれない。そのようにつけくわえたとき私の順に浮かんでいたのは、志賀義雄の顔であった。

人びとの軌跡について

 大江氏のこの本は、私にはとにかくおもしろかった。維新前夜のさまざまな人物の軌跡があざやかにえがきだされている、そのあざやかさがおもしろかった。それぞれの性格も、いかにもくっきりとえがかれていた。

 たとえば「小才のきく能吏」といった形で歩みだしながら、あの幕末の党争のはげしい時代を活動家として生きぬき、藩内で一度も窮地に立つことなく、つねに一藩の藩論をリードしつづけた木戸。その木戸が維新後、新国家のイデオローグという柄にあわない役にまわるなかで、次第に政治の第一線から遊離して孤立を深め、めんめんと不平不満を日記につづりつつ死んでいったという悲劇。

 それから西郷。「この幕末の激動期にすぐれた軍事謀略家としての才能を発揮した人物……彼の才能は、その誠実さと包容力の大きさと、行動ぺの強固な意志によってのみささえられていた。だから、いったん、自己のすすむべき指針を発見すると、いっさいの行きがかりを捨て、小節にこだわらず、行動を開始した」。その西郷が維新後、「糸の切れた風船」に化していった悲劇……。

座標軸の問題

 このようなさまざまな人物の軌跡を大江氏があざやかに──あざやかすぎるほどあざやかに──えがきだすことができたのは、何よりも座標軸の設定の適切さによっているだろう。座標軸として氏が設定したもの、それは横井小楠という思想家であった。

 「人民の立場」に原点を求めつつ、「当時の人民がもつことができたであろう極限の可能性」を「具体的な存在」の形で体現しえた人物を座標軸にすえる、というのが、本書における大江氏の方法論である。それを氏は小楠に見出した。そして小楠とのかかわりを軸としながら、維新前夜の群像の軌跡をえがいたのであった。

 もっとも、小袖の存在そのものを座標軸にとるということは、小楠自身の軌跡を直線化してえがくことである。それによって他の群像の軌跡も、その実際のありようからは何ほどか変形されてえがかれることになる。えがかれた軌跡のあざやかさはそれによっているだろうし、「あざやかすぎるほどあざやか」という感じもやはりそれによっているだろう。それがこの本の魅力であると同時に、見方によっては一つの弱点といえるかもしれない。小楠びいきの私としては、小楠のこのようなとりあげ方に接すると、もうそれだけで著者に花束をもっていきたいような気もちになるのだが。

育てていくべきものとしての思想

 大江氏の本からのノートをこさえたのは、もとはといえばある労働組合から「幹部の役割について」というテーマで話すことを求められたのがきっかけだった。ついでにいえば前回とりあげた「実務について」のメモも、同じ組合で「実務の意義」というテーマを与えられたときにつくったものをもとにしている。

 先見性、行動性、実務性、思想性──この四つが幹部に求められる資質だろうということを、そこで私は話の中心にすえたと思う。もちろん、この四つを誰もがまんべんなくそなえることはむつかしい。誰にも得手・不得手ということがある。だから大切なことは、思想性をカナメにすえつつ、この四つを全体としてそなえるような幹部のチームをつくりあげることであり、そのアンサンブルのなかで各自がその得手をますますのばしつつ、不得手の克服をもめざしていくことだ。──そんなことも述べたと思う。
 今だったら私は、以上にもう一つだけつけくわえたい。──カナメにすえるべき思想性、それは運動のなかで、具体的な諸問題につきあうなかで、歴史的に育てていくべきものである、と。生きた思想あるいは理念とは、たんに抽象的なものではない。へーゲルだったら「具体的普遍」というだろう、そんな性質のものだ。そういうものとして日々に成長していくようなものであってこそ、生きた思想、理念ということができるだろう。
(1985年 高田求著「新人生論ノート PART U」新日本出版社 p166-170)


2011/5/23


■@GAKUTOMO NO.319
組合の新入組合員向け学習会がありました。去年から組合に入っている私も、参加してきました。

本当に最近組合に入った人もいて、メーデー以来に再会できました。
学習会自体は、労働学校で勉強していることと通じるところも沢山あったけど、「組合の学習会」だけあって労働法や労働組合法のところを詳しく教えてもらいました。知らなかったこともあったし、組合でやっている争議の話など具体的なことも聞けてよかったです。

学習会のレジュメの中で紹介されていた文章に「学ぶとは、真実を胸に刻むこと」「教えるとは、ともに未来を語ること」(フランスの詩人ルイ・アラゴン)というものがありました。

日本の労働組合の組織率は18%と低いものだと、総合コースで学びました。今回の学習会でも労働組合自体よく知らない若者や、出会えない若者もいるという話も出ました。五月集会の受講生の感想の中にも、組合とどう出会えばいいのか分からない…といったような感想もありました。

資本主義の矛盾に苦しむ若者は、それでも必死に働きます。街で街宣をしていてもそういう若者に出会います。ビラを渡そうとしても、「仕事で忙しいので」「受験勉強で余裕ないので」などなど。どこまで矛盾にさらされれば、どこまで差し出せば、『おかしい!』と言えるようになるのでしょうか。

未来に何も見出せなくなって、つぶされて、使い捨てられないと、そこに気づけない…。 なんてはずはないと思います。

たくさんの人が労働組合に出会い、学び、立ち上がり、闘うためにも 今そこにかかわっている人から発信していかないと可能性はどんどん小さくなっていってしまうんだなぁと思いました。労働学校でも同じことだと思います。自分が学んだことを周りに話し、どれだけともに未来を語ることができるのか。

139期労働学校募集がはじまっています。新しいビラも完成しました。「2011年夏 あなたの”未来観””社会観”が問われている」と書いてあります。このビラを持って、街の青年にも話しかけてみたいと思います!
2011/5/22(世)

◎「学ぶとは、真実を胸に刻むこと」「教えるとは、ともに未来を語ること」……真理を学ぶ。教える立場のものが、課題を提起するだけでなく、一緒に変革の実践にすすむこと。共に真理を語りそれを求めて闘う……。労働学校の受講生、講師そのもの。

原発推進のたちばであった人も、事実そのものを突きつけられて、態度を変え、「原発ではダメで……」と言い始めている。その目の先には、未来がある。この未来が問題だ。資本の論理だけで未来を決めてはならないのだ。未来をどうみるのか。

未来の子どもを勘定にいれて語らなければならないのだ。世界(自然と社会と人間)をまるごとつかまえ仕組みを究明し未来を展望するのだ。そうでなければならいのだ。最善の選択を実現するために広げられる思想宣伝を検証し闘いのだ。「安全神話」を経験した労働者なのだから……。労働学校への距離は短い。(む)


2011/5/21


■@GAKUTOMO NO.318
 仕事中、ラジオをよく聴きます。テレビは、“○○をしながら”見られないけれど、ラジオは、“車を運転しながら”“機械を動かしながら”聴くことができます。

 大震災の時も、停電になって、電池式の携帯ラジオは重要な情報源となりました。

 16日付「しんぶん赤旗」9面に、放送1万回を迎えた長寿番組のプロデューサーが、「ラジオは今が聞こえる」と表現されていますが、(どこまで理解できているかわかりませんが)本当にその表現が、ピタッとくると思います。

 そして、アナログ的でありながら、放送する側と、ラジオを聴く側が、とても双方向のやりとりがされるのです。今のデジタルのテレビならそういうことも可能なのかもしれませんが、ハガキや電話、FAX、メールなどを使って、番組へ意見が届く…そしてそれを放送する側も意識して、やりとりが行われているように思います。“生放送”が多いのも特徴かもしれません。

 でも、最近…以前から、気にかかることがあります。

 それは、ラジオCMで、消費者金融の過払い金返還請求を広告する法律事務所(複数)のCMです。

 “過払い金返還請求”をすること自身は、とても大切なことです。

 気にかかるのは、放送局のその態度です。

 一時には、いわゆる“サラ金会社”のCMが多量にながされ、放送局には、多額のCM料が入り、それらの会社は大口スポンサーになっていた訳です。スポンサーに都合の悪いことは、流されにくくなる。

 それが、“サラ金”問題が社会問題になり、法律もきちんと整備され、“過払い金返還請求”がすすめられることになると、今度は、法律事務所からCM料をもらう…、おかしい…。

 放送局は無責任なことしていいのか。“サラ金会社”にしても、法律事務所にしても、そのCM料の原資は、お金を借りた“庶民”のお金だ。そのお金が、それらの会社を通して、放送局に…。

 “メディア”ってそんなものなのでしょうか…。

 「しんぶん赤旗」2日付“きょうの潮流”に…『公益社団法人ACジャパン…この団体の役員欄を見ると目立つのは、電力会社幹部が74人中8人もいること。「電力業界は、マスコミ対策に異常なほど熱心」。ある大手メディア幹部の体験的実感です。「記者仲間の内輪の飲み会でもなぜか、電力の広報担当がよく参加していた」▼なかでも、とりわけ熱心といわれているのが東京電力です。年間の広告宣伝費は電力業界トップ。大震災発生時に東電の会長は、マスコミ関係者らを引き連れて中国旅行中でした。』と。

 メディア自身が考え、そこで働く労働者が考え、そして私たち情報を受け取る側もきちんと考え、そして“発信”していかないといけないのではないか…。

 「ラジオは今が聞こえる」、好きな言葉の一つです。(吉)11/05/16


2011/5/20


■@GAKUTOMO NO.317
昨日、5月集会「マルクスの労働組合」と21世紀の現実ー青年の生きづらさを解決することはできるかーがありました。
初めて労働学校の企画に参加してくれる人もたくさんいて、街宣から知り合った仲間も参加してくれてました。

講義の中で紹介されていたマルクス文章の中に「労働組合は、その当初の目的以外に、労働者階級の完全な解放という広大な目的のために、労働者階級の組織化の中心として意識的に行動することを学ばなければならない。」「・・・彼らは、もろもろの結果とたたかっているだけであって、それらの結果の原因とたたかっているのではないということ、…」とありました。

”労働者の解放”のためにいろいろな活動をするのと、いろいろ問題がおきるからそれを対処するために活動するのと、「活動をする」という行動自体では一緒かもしれませんが、その意味や目的やその先にあるものは変わってくるんだろうと思いました。日々、資本主義の矛盾がおこってきてそれを解決するために自分が、組合が、なんのために活動をしているのか…今回の5月集会で改めて考えることができました。

目の前のことだけに必死になっているとだんだん見失ってきます。まるっと大きく、あらわれるままの姿でとらえ、なぜそうなっているのか?その解決方法は?と前向きに考えていくことができれば、しんどい現実を見ても「しょうがない」「考えたくない」とは思わなくなると思います。そう考えられるようになるためにも、日々の学習そして実践の中からも学んでいくことが必要なんだろうと思いました。

5月集会後、街宣から初めて企画に来てくれた人と話をしていました。学生さんで労働組合ともまだなじみがない人だったので、今日の講義や分散会をどう思ったかな?と感想を聞いてみたところ「初めて聞いたことがいっぱいだったけど、感想交流とかも楽しかったし、139期労働学校も考えてみます」と前向きな言葉が聞けて嬉しかったです。

新しい仲間へ、一緒に考えて行動していけるように、自分も学習を深めて沢山つながっていきたいと思いました。
2011/5/20(世)


2011/5/19


■@GAKUTOMO NO.316
第19回集中セミナー「労働法 その原理と実際」で学ぶ仲間の決意をつくり出すために、何を語るか、労働法の“そもそも”から学ぶことの意義はなにか、と日々考えています。いつも募集を機会に学び直します。

“法”とはなにか・・・と考えた時に、ひっかかってくるマルクスの言葉・・・「自分たちを悩ます蛇に対する「防衛」のために、労働者たちは結集し、階級として一つの国法を、資本との自由意志的契約によって自分たちとその同族とを売って死と奴隷状態とにおとしいれることを彼らみずから阻止する強力な社会的防止手段を、奪取しなければならない。」(新日本出版社「資本論」A 525頁)

「階級として・・・国法を・・・奪取しなければ」。労働者階級が資本家階級から「国法を」奪い取る。

「資本論」の「第8章 労働日」を読み直してみました。そこでは、イギリスの労働者が押したり押し返されたりしながらも闘い、工場法を前進させていった経過がリアルに叙述されています。

そのなかで、最初つくられたのは労働時間を延ばすための法だった、ということに驚きました。(「現代の工場法は労働日を強制的に短縮するのにたいして、これら諸法(14世紀から18世紀中葉すぎにいたるまでのイギリスの労働者規制法)は、それを強制的に延長しようとする。」(同 467頁)とあります)

そして労働者が階級として成長してくるとともに、力関係で法の性格がつくられていきます。法律の文章や形だけではなく、実際にその法が資本の力を制限する力の強さも、労働者階級と資本家階級との力関係で決まっていく。そういうリアルな姿(動き変化している)が見えてきます。

現代の「労働法」も“形”はどうあれ、実際はどうか。違法を正す闘いはもちろん必要ですが、今ある法の枠内で、違法か違法でないかの闘いに終わるなら、労働者階級全体の権利の前進はありません。労働組合の闘いの要はそこにこそあるのでは!と思いました。(蓮)2011/05/19


2011/5/18


■@GAKUTOMO NO.315
今日はうれしい報告があります。GAKUTOMO No.239で職場の有能な青年労働者との話をしました。その彼がついに労働組合に加入してくれたのです。能力給もありと考えていた彼に、「能力給とは…」「そもそも賃金とは…」と彼が一つずつ納得できるように話を積み上げました。彼も私のつたない話をよく聴きとってくれ、ひとつずつ疑問を解いていってくれたようです。

今日彼に決意してもらおうと思ったのは、昨日研修係みんなで東日本大震災の街頭募金を行なったことがきっかけでした。(どんな研修係やねんって感じですが)それまでの話で積み上げてきた手ごたえはありましたが、いつ切り出そうかと探っていました。街頭募金という実践は、彼にまた大きな衝撃を与えたようなのです。

組合に加入してこなかった彼にとっては、街頭募金という活動もはじめてです。彼に感想を聞くと、「衝撃です。自分より若い仲間が大きな声を出して、震災募金を訴えている姿に感動しました。自分は、今まで仕事ができることがエライと思っていましたが、そんなん全然違いますよね。」と話してくれたのです。

やはり彼の熱い気持ち冷めないうちに決意してもらわねばと、早速加入をしてもらいました。

ほんの3,4ヶ月前まで、組合とは考えが違うと言っていた青年が、話を積み上げるなかで、考えを変えていってくれたことは、人は変わるし、変えられるという大きな確信となりました。

まとまりが悪いですが、とにかく報告したく書きました。(書)11/5/17

◎文章を書く訓練をしなければ、青年の純粋な気持ちも伝えられないではないか。(む)


2011/5/17


■@GAKUTOMO NO.314
医療職場の青年が悩んでいました。今、残業を減らすためにも職場のチームでどうするかとか、事務時間をどうつくるかとか、そういう目の前のいろんな問題にも実際取り組まなあかん。でもそれに追われてしまって。そればっかりではあかんやろ・・・と。

私もよく、仕事をしている中で、あるいは労働組合の活動をしている中で感じる悩みです。その時にいつも思い出すのは、小説「母」に描かれている多喜二の姿です。

果物やさんの前で子ども連れの女性が、腐れの入ったひと山なんぼのりんごを買おうか、きれいなりんごを買おうかと迷っているを見て、「自分が金を持ってたら、新鮮なぴかぴかのりんご持たしてやりたいと、つくづく思ったよ」というツギについて、多喜二はこう言いました。

「母さん、優しい心はむろん大事だよ。だがね、ツギの優しい心で、その女の人にしてやれることには限界があるだろ。女の人が可哀相だと思って、金を持っていたら一回はりんごを買ってやれるわな。だけど、その人が店に来るたびに買ってやるわけにはいかんだろ。・・・そしてなツギ、小樽の町には、その女とおんなじように貧しい人は数えきれんほどいるんだ。」「ツギがなんぼ優しい心でその人にりんごを買ってやったって、残念ながら何の解決にもならんのだよ。」だから、多喜二は「貧乏人のいない世の中ばつくりたいと、心の底から思って」小説を書いていると語っています(三浦綾子著「母」角川文庫 85頁)。

医療や福祉の現場で働いていると、特にそういう場面にはよく出会うのだと思います。病気ひとつとってもそうでしょう。症状はいろいろ出てくるから、苦しみを軽減するための処方は必要かもしれません。しかし、その病根を絶ちきることなしに、症状をなくすことはできません。

対処療法だけでなく、「貧乏人のいない世の中」を作る、その闘いこそ必要です。(蓮)2011/05/16

◎「そればっかりではあかんやろ・・・と。」と多喜二の……は、ちょっと違うように思う。病気の話は同じですが。目の前の活動をやること、その事の本質を理解し、その観点(思想)を貫いてきちんとやりぬくこと。同じ事をしても違った結果が現れます。組合の会議でも、直属の3人会議でも、なぜやるのか、労働者があつまって実践について論議することの歴史的意義(「階級的使命」との関わり)はあるのか、ないのか。ここで問われているのは、集める側の世界観です。「それをこなす」「実務的・機械的にやる」などといいます。問われているのは世界観です。チラシづくりでも、それをみて労働者がどう変わるか……という、楽しみ(「階級的……」)が見えている場合とそうでない場合では、呼びかけの文章が違ってきます。

2011年5月9日(月)「赤旗」きょうの潮流 を紹介します。
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 大型連休期間中、全国から被災地にボランティアがかけつけました。その数、1日8千人とも。がれきの撤去や清掃の作業が進む一方、「連休後も参加して」との声も伝わってきます

▼被災地ではありませんが先月、都内に設けられたある避難所で、ボランティアをする高校生と出会いました。そこには、福島県いわき市などから原発被害を逃れ、50人ほどが避難していました。その小学生の1人が、「僕、サッカーをしたい」との思いを口にしました

▼ボランティアの高校生がすぐ動きます。近所にグラウンドを確保し、周りの仲間らに声をかけると、小学生から高校生まで20人以上も集まりました。サッカーを通じ、皆がすぐに打ち解け、喜々とボールを追いかける姿がそこにありました

▼数日後、さらに交流が広がります。そのメンバーが、避難所の子と家族を招き、手づくりの「食事会」を計画します。会場の手配、会の運営を高校生たちでやり、食事はお母さん方のボランティアを募って

▼招かれたお父さんは言いました。「私がもし皆さんの立場だったらこんなことができただろうか。いまは何もお返しができません。でも、もし今後、私が同じ立場になったら、困った人たちを支えたい。皆さんがしてくれたように」。小さな会場が優しい思いにあふれました

▼被災者とボランティア。心を寄せ合い、つながり合う。そんな交流が、被災地でも無数に生まれたに違いありません。それが、明日を拓(ひら)く力になると信じたい。

マルクスだって、労働者、労働組合の力≠見通したのではないでしょうか。その力はどこにあったのでしょう。見た目はどんなんだったでしょうか。飲んだくれのどうしょうもない労働者階級をどんな風にすれば力≠フ存在を理解できるのでしょうか。

「そればっかりではあかんやろ・・・と。」、社会を根本から変える活動を結びつけて進める。その具体的なかたち≠ヘ、その「そればっかりではあかんやろ・・・と。」の活動にこそ含まれていると言えるのではないか。「その女の人」を同志に変えることの努力を多喜二はツギに求めたのかもしれません。きっとそうです。「そればっかりではあかんやろ・・・と。」の中に……(む)


2011/5/16


■@GAKUTOMO NO.313
5月から初めて保育園で働いている青年と休憩室で一緒になったので、声をかけてみました。これまで幼稚園で働いた経験があるそうです。この園に来て、「長く働いておられる方が多いんでびっくりしました」と言ってました。

“長く働き続けられる職場”であることは、働く者にとっても、利用者(子ども・親)にとっても、保育園にとっても重要です。それは自然とそういう職場になったのではなく、先輩たちが作ってきた環境なのだ、ということを話しました。(でも同時に、それは保育園という職場では本来、自然なことなのだとは思います。)

私自身、労働組合の役割を労働学校で学んだんや、ということから、労働組合のことだけじゃなくて、ヒトはなんで働くんやろうかとか、個性ってなに?とか、人間らしく生きるってどういうことかとか、生き方を学んだんや、と紹介しました。なんで働かなあかんのか、生きるって何?という疑問は、私も悶々と抱えていた時期があります。進路や就職で悩んでいた時にはなおさらでした。

彼女も同じ思いを抱えていました。「幼稚園で働いていた時には率直な意見を出す場がなかった、『なんで働くんやろう・・・』ってずっと言ってたんです。ヒトはなんで働くのか、知りたいです!」と話してくれました。

「ヒトはなんで働くのか?」その素朴な疑問の中に、人類の壮大な歴史と未来が詰まって見えてきます。自分たちの生活の手段として保育をするのではなく、人間の発達そのものを目的とした保育士仲間に・・・そういう仲間としてともに成長していきたいです。(蓮)2011/05/14


2011/5/14


■@GAKUTOMO NO.312
 現代経済学ゼミナール『現代と「社会主義論」』の第1課を欠席した仲間に、資料を届けにいきました。外で待ち合わせしていたので、第1課で自分が印象深かったところを、簡潔に伝えてみました。

 「社会主義って、国や政府が“社会主義にします”っていったら社会主義、ということではなく、一人ひとりの人間が大切にされるか、“人間の発達”が課題になる社会ということが強調されていましたよ。」

 私のこの説明でどう伝わったかはわかりませんが、第1課の資料もみながら、次回を楽しみにしてくれています。そんな話もしながら、話題はその仲間の近況の話に。

 その仲間は、今の職場に就職して1年、経理の仕事をしているけど、わからないことばかりで、夜もいろんな研修にでかけているとのこと。そして、ある労働保険の研修で、講師の社会保険労務士の人の一言が気になって、私に話してくれました。

 その講師が、社会保険労務士としての実際の業務で、とある依頼者が、自分の家族の過労死認定の申請にこられたとのこと。その社会保険労務士は、その時、実際過労死認定をうけるのは難しいと思い、その申請に関わる手数料も低めに契約したとのこと。でも、実際に手続きをすすめると、きちんと認定がうけれたとのことでした。

 その彼も、ここまでは、“社会保険労務士ってそういう仕事もされているのか”と思って聞いていたそうです。でも、その講師の次の一言に耳を疑います。

 「過労死認定がうけられるなら、もっと手数料を高く契約しとけば良かった」と。

 この一言を、何の悪気もなく、普通のこととして、言う講師の姿に、彼はものすごい“違和感”をおぼえたそうです。

 “社会主義は、一人ひとりの人間が大切にされるか”という現代経済学ゼミナールの内容と重なってくると思いました。

 今、この資本主義社会で、“働く”ということが、本来の“人間らしさ”とかけはなれています。

 社会保険労務士という職業が、社会的にはたす役割、一人ひとりの労働者にとっても重要な職業であるはずなのに、一言≠ヘそうしたことが反映していると思う。そうした意識はだれしもが抱く可能性はあるのかもしれません。

 社会保険労務士であろうと、保育士であろうと、公務員であろうと、どんな職業でも、どういう思いで、その仕事にたずさわるか、そしてその環境がおかしいと思うなら、それを変える方向で自分が取り組もうとするか、労働者一人ひとりの世界観が問われると思います。

 現代経済学ゼミナールの第1課を受講して、こじつけて考えようとしている訳ではありませんが、“人間”ということをキーワードにして、いろんなことを見てみると、とらえられてなかった視点が、見えだしているように思えます。具体的に、理論的に、こうだといえる水準ではないですが、また“この場”で書けたらと思っています。(吉)11/05/14

◎階級的観点を低めてはならない。階級闘争とはどういうことなのか。人間論だけではどうにもならない≠フだ。もっともらしく説明はつくのだが、それが災いする。(む)

 『宣言』をつらぬく根本思想、すなわち、歴史のどの時代でも経済的生産およびこれから必然的に生ずる社会的編成は、この時代の政治的および精神的な歴史にとって基礎をなすということ、したがって(太古の土地の共有の崩壊以後)全歴史は階級闘争の歴史、すなわち社会発展の種々の段階での搾取される階級と搾取する階級との、支配される階級と支配する階級とのあいだの闘争の歴史であったこと、しかしこの闘争は、いまや、搾取され、かつ抑圧されている階級(プロレタリアート)が自分を搾取し、かつ抑圧している階級(ブルジョアジー)から自分を解放することは、同時に全社会を永久に搾取、抑圧および階級闘争から解放することなしにはもはやありえない、という段階に達したということ──この根本思想は、ただひとり、そしてもっぱらマルクスだけのものである。
(「共産党宣言」ドイツ語版への序文)


2011/5/13
◎5月もまた、掲載できる@GAKUTOMOが、ない日ができました。「持続できない意思」格好悪いですね。1年ぐらい続けて、どうこう言っているのは駆け出しの部類です。悔しいです(-_-;)。




2011/5/12


■@GAKUTOMO NO.311
思いがけない出会いがありました。

組合の関係である実行委員会に参加しているのですが、会議の場にどこかで見覚えのある顔と名前の男性がいました。でもなかなか話す機会が作れず、何回か顔を合わせながらも今日まできていました。それが今日、資料を組むのにたまたま隣合わせに。やっと気になっていたことが聞ける!と意気込んで話しかけようとしたとき、相手から私が聞こうとしていたのと同じ質問をしてくれました。「地元はどこですか?」と。

答えると、地元が同じだということが発覚。中学校・高校が同じ後輩でした。私の実家があるところは、中学校も高校も300人もいない田舎の町です。接点はほとんどなくても、学年が違っても、学校が同じなら名前と顔ぐらいは一致します。だから見覚えがあったのです。

地元にいたときは接点もなかった人が、今は同じ職業に就き、同じ組合で活動し、さらにたまたまですが、担任している年齢まで同じ。ビックリすると同時にとても嬉しかったです。相手も少しはそう思ってくれたようで、そこからは作業をしながら色々話しました。主には職場のこと、保育のことを。作業はのんびりになり、最後は周りで同じ作業をしていた人が手伝いに来てくれるぐらいでしたが…。

あまり長い時間は話せず、連絡先も交換できませんでしたが、帰りぎわに「また話そうね」と声をかけてくれました。

最後に話していたのは、同級生で保育士になった子が仕事を辞めたいと言っていて、それが1人ではないということ。私の周りも同じ状況です。保育士という職業に就きたくて、働きはじめたはずなのに、辞めたいと思うのはなぜなのか、もっと深く話したかったです。人間を育てるということについても話したいことがまだまだたくさんあります。

また近々会う機会があるので、ゆっくり話したいと思います。労働学校で学んで、一緒に考えていきたい仲間に出会えた、ワクワクする日でした。(螢)


2011/5/11


■@GAKUTOMO NO.310
経済学ゼミナール募集に役立てるため、何を語るのか≠つかむために、未来社会論について考察された友寄さんの論文(季論21掲載)を事務局長より紹介してもらいました。

友寄さんによると、現代資本主義から未来社会への移行の主体的条件として、@失業・貧困の累積、労働者・国民の階級闘争の発展と、A生産力の発展にともなう「労働の社会化」の発展という2つの契機によって促進されると述べられています。

その中で、2つ目の契機とされる「労働の社会化」には、現代資本主義においては変化が生まれていると指摘。

それは、ICT革命であり、『一見すると労働者はばらばらに切り離されているかのようにみえ、労働者階級の組織化の条件は、むしろかつての時期よりも困難になってきているのではないか、という疑問も生まれている』 と述べた後、『「労働の社会化」は、情報ネットワークによって社会的規模にまで発展しつつあるととらえている』 と言われています。

そして、『目に見えない情報ネットワークによって結び付けられた「労働の社会化」の形態が加わることによって、たしかに肉眼ではとらえ難くなっているが、決して労働が分断され、個別化しているわけではない。』

『労働者階級の結集と団結を強めるためには、労働者の立場からの独自のネットワークを作っていくことが必要』 と指摘されています。

はじめ、何のことを言ってはるのかよく分かりませんでした。

でもやっぱりインターネット≠オか思い当たらなく、そういう意味では日本はまだ労働運動の側からとしては、本格的な活用がなされてはいないと思いました。

エジプトでさえも、大統領を退陣に追い込んだデモは、インターネットが大いに活用されたというのにです。

このGAKUTOMOの掲載もそのことが大きく意識されて、はじまっていますが、なかなか書けない。自身の力量を高める必要を思い知らされています。(書)11/5/10

◎目に見えない! という意味を既成の眼では捉えることができない! とよむとどうなりますか。われわれの世界観がとわれているのではないでしょうか。ダイナミックに存在している客観的実在を捉える眼です。(む)


■@GAKUTOMO NO.309
連休中に「不破哲三時代の証言」を読みました。不破さんの生き様がよくわかる内容でした。

不破さんは、別の著書「革命論研究」(上)で「マルクスは、新しい問題にぶつかったら、どんな場合にも、事実の全面的な研究をおこない、その研究のなかから事実にぴたりとあう答えを引き出す、という態度をつらぬきました。」とマルクスの研究への徹底さを評価されていました。

私から言えば、不破さんの研究への態度は、マルクスと全く同じで、不破さんの偉業を思い知らされました。革命論や未来社会論でレーニンがマルクスのどこを読み誤ったのかの分析を含め徹底的にレーニン研究をされ、綱領改定へと結実させたことは、マルクスそのものと言えるでしょう。

不破さんは、いまなお理論研究に精力的で2つの主題をあげられています。

1つは、『資本論』の形成過程の研究で、月刊「経済」に連載中です。

もう1つはスターリンの大国主義の歴史の研究だそうで、これは「新たな脈絡が究明されれば、少なくとも世界史のある部分の書き換えが必要になるかもしれない。」と述べられています。わくわくしますね。

しかし、学ぶべきは、自分の活動のフィールドでのこういう実践と研究の態度であります。生き様によく学びたいと思いました。(書)11/5/11

◎「持続する意思」……。自らの価値観を判断基準にしているところに主観的で不十分な路線選択が生まれ、正当化し思想化するのです。ここぞ! と思う瞬間に集中して、力を入れた活動が必要なのです。(む)


2011/5/10


■@GAKUTOMO NO.308
数年前にともに学習していた仲間に久しぶりにあって、講座をすすめていました。当時は、ともに「青年に科学的社会主義をどう広げていくか」などを議論し合ってお互いの活動を交流し、そのなかで仲間同士で激励し合っていたのですが、いつの間にか関係が遠のき、お互いの地元で別々に活動をしていました。

そして今回、話すなかでなかなか地元で青年が(選挙や日常の活動で)主体的になれていない、どうしたらいいか・・・と悩みを打ち明けられました。話していると、目先の仕事や自分の活動に追われる日々のなかで科学的社会主義の学習もままならない状況だと言います。「学習協で活動するメンバーはいつでも勢いがあるけどなんでそうなん?」とも聞かれました。

私たち学習運動にかかわる活動家も職場へ行くと「忙しくて学習どころではない」とか「青年はこんなん興味ないわ」と門前払いの対応もあります。しかしそういう職場の対応に対して「本当のところは青年の働きづらさを何とかしたい、活動の担い手になってほしい」という願いや思いが詰まっているように見え始めて以来、めげることがなくなってきました。それは「労働者を、資本の攻撃の被害者という面からだけ描いたわけではなく、同時に社会を変革し未来社会を担う階級として成長・発展する姿として捉えた」というマルクスの見方が、少し身についてきたからかなと思います。

「いま、革命家として自覚的に歩み始めている私たちにとってそういう見方を学習によって身につけ、実践によって鍛えることが問われてきているんだと思う。だから一緒に学ぼう」とその人にも話しました。人に話ながら自分にも言えることだなと、GAKUTOMOにまとめながら実感しています。(麦)11/5/10

◎……。
2002年8月に「麦」さんが書いた『学習の友』の原稿
10月号に掲載されました。
 本人が書いたそのマンマです。

■奥村有里(保育士23歳)
 労働学校にくるまで、私はとりあえず必至に仕事をしてきた。今も必至やけど、労働学校にくるまでとは、違う気がする。

 労働学校で社会のしくみを知り、それをいろんな職場、いろんな考え方の人たちと話し合いをすることで、私のせまい考え方が広がった気がする。

 それなりに保育をすることは保育者になれば、年数を重ねるごとに簡単にこなしていけると思うけど、本当はそうじゃないんやなって思った。誰のために良い保育をめざすのか?もちろん、子どものため。

でもきっとそれは、親が子どもの成長をみて、「この子を育てて良かった」と感じられる保育が本当に子どものための良い保育だと考えるようになった。子どものことだけでなく、子どもをとりまく環境を考えてこそ、本当に子どものことを考えるってことなんやろうなって思った。

労働学校で社会のしくみを知ることによって、今の社会の矛盾を感じるようになった。平和を守る努力をすることが未来へつながると感じた。だから、良い保育をするためにも変えていきたいと思う。

でもそのためには、もっと学習していろんな人に伝えるだけの言葉が必要だと思っている。

子どもに対しても、何を伝えたいのかっていうのをしっかりもって保育しないといけないと思う。そのためにもやっぱり、わかりやすく伝える言葉や思いが必要やと思うから、学習して、自分を広げていきたい。

そんな風にいろいろ思って必至に仕事しているのが、何も知らずに必至に仕事してた時よりも楽しいって思う。

■鎌田知子(保育士22歳)
 私は労働学校で学ぶことについて講義学習はもちろんですが、それだけじゃないと思います。

一緒に学習する仲間と話し、自分と違う意見をもった人と出会い、討論してその中から新しい発見が生まれてくる。そういうみんなの中で「学ぶ」というのが今とても楽しいです。

この労働学校で学んだことというのはきっと職場で働いていく中で役に立つのだろうなと思います。

例えば矛盾にぶつかったとき目先の問題だけを見るのではなく、その背景をよく知ることが大事であり、そして本当の問題とは何かをみんなで話し合い解決していかなければならないと思います。

当たり前のようなことですが難しいことです。私は今、労働学校でそういうことも学んでいるのだと思います。

■上野哲平(事務職員23歳)
 僕は、学生の頃から漠然とですが、この社会に対して疑問や矛盾を感じていました。しかし、それは何か?と聞かれてもハッキリ答えられなかったように思います。

そして、働きだして自分の職場での待遇等から、より一層社会や職場に対する疑問や矛盾が強くなり、この思いをどうしたらいいものかと苛立っていたところ、たまたま労働学校という存在を知り、少しでも何かを得ようと、飛び込んでみることにしました。

ところが、この労働学校では、僕が感じていた疑問や矛盾を次々に明確にしてくれ、問題となっていることの根本原因を認識することで解決するための展望が開けるということがよく分かり、その展望も学習によってのみ開け、学習し続けてこそ、その展望も広がるんだということがハッキリ分かりました。

僕は、学生時代勉強が大嫌いだったのですが、労働学校で学ぶ物の見方や考え方。又、労働学校のようにみんなで一緒に学習すすめる。といったことを小、中、高でやってくれていれば本当に学ぶ楽しさが分かったように思います。

今、僕は仲間と共に学習することがすごく楽しく、共に影響し合い成長できる仲間がたくさんいます。学ぶことで色々なことに挑戦したいという意欲が湧き、そこにぶつかっていくことで自分自身の成長を探しています。

学ぶことの楽しさを知った僕は、一生学習し続けたい!そんな意気込みです。


2011/5/9


■@GAKUTOMO NO.307
 6日の夜、突然に埼玉の友人から電話がかかってきました。@GAKUTOMO NO.283の友人です。

 「自主上映会ってやったことある?ノウハウとかしっていたら教えて」という唐突なものだったんですが、よく聞くと、記録映画『ミツバチの羽音と地球の回転』という映画を自分たちで、市民会館を借りて上映会をするとこのこと。以前に、私が大きなホールを借りて、取り組みをやったことがあるということを思い出してくれて、聞いてきてくれたのでした。

 この記録映画は、鎌仲ひとみ監督の『六ヶ所村ラプソディー』に続く長編ドキュメンタリー映画で、原発問題と関わった内容とのこと。お恥ずかしながら、私は全然どちらの映画も知りませんでした。友人は、「関西での上映会はどんな感じ?」と普通に私に聞くくらい、関東地方では、頻繁に上映会が開催されているようです。

 その友人は、現在、育休中。震災以後、計画停電になったり、放射能の危険性におびえたり、生活は急変しているとのことでした。でも、育児を現在している親同士のつながりで、いろいろと話し合い、もっと事実を知りたいということが強まってきたとのことでした。

 そんな中、親同士が話し合うのも、ただ原発の問題だけではないようで、自分たちの住んでいる街のことや、この社会のことなどにもついて、みんなで考えるようになってきたといいます。

 しんぶん赤旗・1日付の主張に「大震災が起きた3月11日を境に、多くの人々が日本の経済社会と政治のあり方を真剣に考え直しはじめています。地域の絆、支えあうことの大切さ、原子力行政とエネルギー政策、大量消費や24時間型社会などについてです。」とありました。

 友人の熱のこもった電話の話からも、それは強く伝わってきました。

 そして、その友人たちは、いろいろ話し合うなかで、自分たちの住む街が文化的にも遅れていて、映画館が一つもないということがわかり、それをみんなの問題としてうけとめ、そうした中から自主上映会を、自分たちでやろうと立ち上がったとのこと。そして上映会するにしても市民会館でやるのもそう簡単なことでもないことが、実際動く中で、実感しているそうです。

 いろんな人に広げるために、まず自分たちから、本を読んだり、学習会したりと、その友人たちは、“変化”しています。そして、社会へと発信しています。

 その電話の次の日の7日、しんぶん赤旗の潮流に『ミツバチの羽音と地球の回転』がとりあげられていました。「共鳴する、祝島が発する羽音とスウェーデンの羽音。この“ミツバチの羽音”の響き合いを地球に広げるため、一人一人になにができるのでしょう」と。

 その友人たちは、自分たちで考え、動きだしています。

 友人の話を聞いて、3月の震災直後にあった集中セミナーの“地方自治”で学習したことを私は実践的にいかせているのか。そして8日にはじまった現代経済学ゼミナールで学習した「社会主義とは、社会の仕組みを変えれば社会主義になるのではなく、一人ひとりの“人間”がどうかがキーワード」ということを、どう自分の活動にふくらませられるのかは…これからです。(吉)11/05/08


2011/5/7


■@GAKUTOMO NO.306
自分の担当する「学習の友」の配布職場は40職場ほど。そのなかで確実に日常対話や職場の様子を聞き出したり、学習内容を押し出して話せるようになってきた職場は11職場。話はできるものの、もう一歩の踏み出しで信頼関係が結べそうな職場は10職場。学習内容を一方的に話してしまっている職場は8職場。働きかけが足りておらず、信頼関係が結べていない職場は9職場・・・。

さらにすべての職場を、名前をあげて状況分析をしてみると、話せる職場という位置づけにしている職場でも労働組合として話ができている職場と個人的なつながりで話ができるようになっている職場も違いがあります。(実態としては「労働組合として話ができている職場」は少ないのが現状です・・・。)

不破さんが世界の構造変化を捉えるときの視点を真似してみました。不破さんはソ連崩壊後の構造変化について「その変化が世界を活性化し、情勢に前向きに働くものだったことはその後一八年間の世界の状況の推移が事実を持って示している」と具体的に92年のGDPの数字と06年のGDPの数字を対比した表で世界を4つのグループに区分けし@発達した資本主義の国々A社会主義を目指す国々Bアジア・アフリカ・ラテンアメリカの国々C旧ソ連、東欧の国々が生まれてきていると分析されています。(「激動の世界はどこに向かうか」p.108)そうすることで実際に社会主義を目指す国々の優位性がハッキリと見えてくる・・・。

各職場は個々で現状も違うし、労働者の学習への取り組みも違う。悩みもそれぞれ。そういう個々バラバラな職場を、自分の活動を通して分類しそこから現状を捉えてみる。そうすると少し見えてくるものがあるように思います。

日々の目の前の職場の反応だけを見たり、毎回の講座や労働学校の「受講」にだけ目がいくような募集活動から、どう仲間を高め、集団的に学ぶ動きをつくりだしていくか、自分の活動の次なるステップアップにこの視点を学ばなければと思いました。(麦)11/5/3


2011/5/6

■@GAKUTOMO NO.305
学習協の毎日ニュース(Daily Organaizer)を読んで、涙が出そうになりました。東電によって起こされた原発事故。謝罪をした東電副社長に対して、高校1年生の女の子が「将来、子どもが産めなくなったらどうするのか」と訴えたという記事が学習資料として載っていました。まさに原爆で被爆した人たちのその後の苦悩と重なる言葉。「被爆」を理由にいじめられている子どもがいることも同じ。“見えない被害”しかし当事者にとっては一生背負っていく傷に対して、東電や政府は今のところなんの補償も口にしていません。

東電の副社長はこれらの発言に対して、「個人的には人災と考えている」と発言したそうです。“個人的には”という言葉。私が科学的社会主義を学び始めたとき、「資本家は悪いかもしれないけど、うちの社長は理解があるし」という意見が出ていたことを思い出しました。

学びを深めていくなかで、いま頭にあるのは「資本論」の一部分。「彼はただ人格化された資本にすぎない。彼の魂は資本の魂である。」(第2分冊p.395)。資本主義的生産のなかでは、いくら経営者が個人的に非を認めても、労働者に優しい言葉をかけても、本質は人間の体の健康面やこれからの人生には全く配慮はしない。そして危険を承知で再び生産を最優先させていくんだと思います。

私たちがいましなければいけないことはなにか。社会の強制によってその動きを止めなければいけない。利潤第一主義のこの社会の仕組みそのものを多数の力で変えていかないと。それは実現可能です。その芽が世界レベルではいろんなところで見え始めている。もうすぐ「第9回 現代経済学ゼミナール」が始まります。(麦)11/5/2


2011/5/02


■@GAKUTOMO NO.304
138期総合コースの全18講義が終了しました。
あっという間の2ヶ月間でした。

先週の日曜日、学習協の総会の中で、総合コースの運営活動について発言をしました。その中で「労働学校では“学習”と“交流”を大切にしています」と話しましたが、138期の2ヶ月間を振り返ると、その2点を意識した働きかけが出来ていなかったと強く感じます。全受講生を対象にした活動ができず、最終講義も交流会も一部の受講生のみのものとなってしまいました。

学習も交流もできた受講生は2ヶ月を振り返っての感想の中で、「これから労働学校で学んだことをどう活かしていこうか考えたい」、「ここで学ぶ人が増えれば、そしてその一端を自分も担えれば、新しい社会もそんなに遠くないのでは」、「今日が終わりではなく始まりです」と話していました。その思いがとても大切で、それぞれの受講生の土台となっていると思います。全受講生にそんな風に思ってもらえるような活動ができなかったことをとても申し訳なく思います。ありのままを見ようとしなかったことが原因だと思います。

しかし、もっとこんな風にすれば良かったといくら思っても、現状は変わりません。受講生に対して、今からでもできることは何だろう、と総合コースの運営委員みんなで考えています。まずそれを実践してみる。その上で、経験を交流し、さらに次の活動を考える。その繰り返しが運営活動なのだと、最近改めて意識するようになりました。実践しながら受講生1人1人に成長してもらえるよう、最後まで諦めずに頑張ります。(螢)

◎真摯な姿勢こそ漸進(ぜん‐しん  順を追ってだんだんに進むこと。すこしずつ進歩すること。)をつくりだします。力をもっているのですから、課題として「みんなの力をどのように引き出してゆくのか」を強く意識して、学習と実践をすすめれば、すばらしく魅力ある「女性」に成長すること間違いなしです。